【植物】男女の仲を取り持つ花:『オミナエシ』
「ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし 咲きたる野辺(のへ)を行きつつ見べし」(秦八千島(はたの・やちしま)『万葉集』巻17-3951)
(訳:ひぐらしが鳴く夕暮れどきには、女郎花が咲き渡る野原をめぐってご覧になるのがよいでしょう。)
今年はようやく梅雨が明けたばかりですが、暦の上ではまもなく秋。そろそろショーウィンドウに飾られる装いも、爽やかな色からこっくりとした秋色になってきました。お盆を過ぎれば、道端の草花やひぐらしの声に少しずつ秋を感じるようになるでしょう。
かつて秋の花が咲き乱れる野原を「花野」と言い、その中を散策しながら歌を詠むことが古くから行われていました。そんな花野に、細かな黄色い花をたくさんつけてなよやかに揺れるのは、秋の七草のひとつに数えられるオミナエシです。
「おみな」とは女性の意で、黄色い粒のような花が女性が食す粟ご飯のように見えることから、「女飯(おみなめし)」が「おみなえし」に転じたとされたという説があります。この花に「女郎花」という漢字が充てられるようになったのは平安時代で、この時代「女郎」とは江戸時代以降でいう遊女のことではなく、高貴な美しい女性のことを指していました。ここから、美女を「圧す(へす=圧倒する)」という意で「おみなえし」と名づけられたという説もあります。万葉の時代には、「姫部思」「佳人部為」などと書かれていたことからも、この小さな花が古代の日本人の目にいかに上品に美しく映っていたかということがわかりますね。
ちなみに、オミナエシと非常によく似た「男郎花(おとこえし)」という花がありますが、こちらは小さな白い花をつけ、オミナエシよりしっかりとした茎を持っています。もち米で炊く白いおこわは「男飯」と呼ばれていたそうですから、花の名前もここから来たのかもしれませんね。
オミナエシの花言葉には、「美人」のほかに、「約束を守る」「親切」「儚い恋」などがあります。清楚な花姿が繊細な印象を与え、秋の野に揺れる様子がどことなく儚げに見えるからなのか、オミナエシには切ない恋にまつわる話が伝えられています。
埼玉県浦和市には、「見沼の女郎花」という民話が残っています。美しい豪族の娘の片想いを成就させようと、相手の若者との仲を取り持っていた召使いの娘が、行き通ううちに若者に見染められて身籠ってしまい、罪を感じて身を隠します。その後、豪族の娘は若者と結ばれ、二人は仲睦まじく暮らすようになります。それを見届けた召使いの娘は、それきり姿を消しました。人々はこの娘を縁結びで有名な出雲の神の使いだと噂しました。それからというもの、見沼に咲く小さな花は黄色と白の花を同時に咲かせるようになり、「男女のえにしを取り持つ花」として「オミナエシ」と呼ばれるようになりました。
また京都の八幡市には、八幡女郎花という地名があり、能の演目である「女郎花(おみなめし)」の元になった悲話が残っています。昔、小野頼風という男が京で契りを結んだ女がありましたが、男は都での任を終えて八幡に戻っていきました。男が心変わりをしたと考えた女は、川に身を投げてしまいます。悲しんだ男が女を葬った塚からは一本のオミナエシが咲きますが、男が懐かしさに身を寄せると花は逃げ、身を引くと元に戻ります。男は女の情念を知り、同じ川に身を投げました。今でも、京都の八幡には「女郎花塚」と呼ばれる女の塚と、「頼風塚」と呼ばれる男の塚が残っています。
花野の季節はまだもう少し先ですが、オミナエシの花期は7月頃からなので、日当たりのよい草地につぶらな黄色い花をたくさんつけて揺れるオミナエシをすでに見ている方もいらっしゃるでしょう。秋の七草が咲き乱れる季節を待ちつつ、心に浮かんだ気持ちを書き留めておけば、暑さの和らいだひぐらしの花野で素敵な一句が出てくるかもしれませんよ。
【参考文献】
Wikipedia, 「七草」
Wikipedia, 「オミナエシ」
花々のよもやま話,「オミナエシ(女郎花)」
366日の花言葉,「オミナエシ」
杉山潔志,女郎花悲話にみる人間行動,〔秋の七草・女郎花(おみなえし)〕
※この記事は、2016年8月12日に配信された、NPO法人日本伝統文化振興機構メールマガジン『風物使』の一部を編集・転載したものです。
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