2019年6月 日本文化コラム

【生物】神々からの贈り物:『蚕』

【生物】神々からの贈り物:『蚕』(繭の画像)

「なかなかに恋に死なずは桑子にぞ なるべかりける玉の緒ばかり」(『伊勢物語』14段 )

(訳:叶わぬ恋に焦がれ死ぬならば、いっそ蚕に生まれるのだった。たとえ玉 の緒のように短い命だったとしても。)


小満の初候は、「蚕起食桑」(かいこ おこって くわを くらう=蚕が盛んに桑を食べ始める) となっており、養蚕農家ではクワの葉が十分に茂るこの頃から「毛蚕(けご)」と呼ばれる孵化したばかりのカイコの幼虫を育て始めます。小学校の理科の実習で毎日せっせと柔らかなクワの新芽を摘みにいった思い出のある方も多いのではないでしょうか。

養蚕は5000年ほど前に中国で始まったと言われており、日本では「魏志倭人伝」(3世紀)に「女は蚕を飼い、糸を紡ぎ布を織る」という記述があることから、弥生時代にはすでに日本でも生糸が生産され、利用されていたことがわかります。8世紀に成立した「古事記」や「日本書紀」には、死んだ女神の体から五穀とともにカイコが生まれたというくだりがあり、古代の日本で養蚕が食料生産と同じくらいの重要性を持っていたことが推測されます。

農家に貴重な収入をもたらしてくれるカイコは、「お蚕さま」と呼ばれて半ば神聖視され、東北や北関東では蚕神として「おしらさま」を信仰する風習が今でも受け継がれています。

「おしらさま」のご神体は1尺(30cm)の棒の先に男女または馬の顔を描いたり彫ったりしたものをつけ、布の衣を幾重にも着せたものですが、これは中国から日本に伝わったとされる「馬娘婚姻譚」(馬と娘が懇ろになり、ともに死んでカイコが生まれるという話)に基づいています。

佐賀の実相院という寺院には左手に繭、右手に絹糸の束を持って馬のそばに立つ女神の石像があり、娘と馬、そしてカイコに纏わる神話が日本の広い地域で語り継がれてきたことがわかります。養蚕と馬の世話は古くから女の仕事で、カイコの背には馬蹄型の紋があることと関わりがあるのかもしれません。

茨城には、天竺(インド)から流れ着いた金色姫という美しいお姫様が自分の死と引き換えに日本に養蚕を伝えたという伝承が残っています。この話の残る「蚕影神社」は、日本の絹の発祥の地と言われています。ことの真偽はともかく、養蚕が遥か彼方から伝えられた大切な業であるという人々の意識が信仰心を育てたことには違いありません。

日本の養蚕は江戸時代に各藩の殖産興業策として奨励され、幕末に画期的な養蚕技術が開発されたことにより、明治時代に隆盛を迎えることになりました。絹糸の輸出は主要な外貨獲得手段となり、富国強兵の礎を築いたのはご存知のとおりです。

生糸産業の凋落からすでに久しく、現代では代替となる合成繊維の普及で絹の需要は減っていますが、軽くしなやかで夏は涼しく、冬は暖かい絹はやはりほかの繊維には代えがたい魅力があります。最近では気軽に洗濯できるシルクニット製品も出回っていますので、シルクを纏ってちょっぴり上質な気分を味わってみるのもよいですね。


※この記事は、2013年6月4日に配信された、NPO法人日本伝統文化振興機構メールマガジン『風物使』の一部を編集・転載したものです。

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