【暮らし】香りも愉しむ暖房器具:『炭』
「菊炭の香をたつかしみ冬籠(ごもり)」(青木月斗)
(解釈:家にこもる冬の日も、菊炭の香りが楽しませてくれることだよ。)
本年も早や年の瀬を迎え、暖冬とは言われながらも、朝起きたときや帰宅時には暖房器具のスイッチを真っ先につけに走る方も多いのではないでしょうか。 現代でこそ、暖房機器は住環境や用途に合わせてさまざまなものが選べますが、長きにわたって日本人の冬の体を温めてくれたのは、炭の火でした。
日本で発見された最古の炭は、愛媛県の鹿の川遺跡の洞窟内のもので、なんと30万年前の木炭なのだそうです。そのころの日本は氷河期で、人々は洞窟の中で生活していました。おそらくは煙を逃がす設備もなかったでしょうから、そのような住まいで焚き火をしたのでは、煙に巻かれて暖を取るどころではなかったかもしれません。煙を出さず、火持ちのよい炭の発明は、厳しい冬の生活環境を大幅に改善したことでしょう。
もっとも原始的な炭は、木を積み重ねた上に枯れ草や粘土をかぶせ、半日ほど蒸し焼きにすることで、木に含まれるタールや水分を蒸発させて作られます。これを和炭(にこずみ)といいます。この炭はやわらかく、あまり質のよいものではなかったため、後日優れた製法が大陸より輸入、もしくは考案されてより硬い、上質の炭が生産されるようになりました。油分や水分が飛んだ炭は重量も軽くなり、木のように腐ることもないため、持ち運びや長期の保存にも非常に便利になります。長時間にわたり、高温の安定した火力を供給してくれる炭は、暖房や炊事だけでなく、土器の焼成や金属の鋳造にも利用されるようになりました。
金属の鋳造技術は、弥生時代初期(紀元前200年ごろ)に大陸からの渡来人により日本に伝えられたとされています。最初に青銅器が鋳造され、弥生時代中期(紀元前後)には鉄器が急速に普及します。その生産に不可欠な火を熾す炭の需要も飛躍的に高まっていったと考えられます。8世紀に作られた奈良・東大寺の大仏には、約500トンの銅が使われ、その鋳造のために、体積にして300万リットル(16,656石)の炭が使われたといわれています。またこの頃、中国から白炭(高温で焼成した後、窯から出して急速に冷却して作られる炭で、表面が白く、金属のように硬く火持ちがよい)の製造技術が伝わったと考えられています。 同じく東大寺の正倉院御物には、現存する最古の火鉢「大理石製三脚付火舎」(「火舎(ほや)」=脚のついた火鉢・香炉)が収められており、室内での炭の使い方も次第に洗練されていったことがわかります。
平安時代には、貴族の邸宅の暖房や炊事用として炭が大量に必要になり、炭を年貢として収める「納炭」が行われました。『枕草子』には、「炭櫃(すびつ)」「火桶(ひおけ)」(今で言う火鉢)という語彙とともに、冬の段に暖房用としての炭がしばしば登場します。壁もあまりなかった当時の邸宅の冬は、隙間風が吹き込みさぞ厳しかったろうと思われますが、炭は電磁波の一種である遠赤外線を発生させますから、空気の流れに左右されることなく電子レンジと同じ仕組みで皮膚の分子を振動させて体を温めてくれるため、近くにいれば案外暖かかったのかもしれません。
鎌倉時代から室町時代にかけて、大名や貴族、僧侶や武家階級のあいだで茶のたしなみが広まっていくと、それまで刀剣や甲冑などの武具を作るために焼かれてきた炭が、茶の湯を沸かすための炭として改良され、製炭技術が大きく進歩することになりました。茶道を大成させた千利休は、炭の改良にも大きく貢献したと言われています。
黒炭の中で最高の品質を持つとされる茶道炭は、木質の硬いクヌギの若木が原料となり、切り口が菊の花のように美しい形状に焼き上がることから、「菊炭」とも呼ばれます。火力が強く、火持ちがよいため燃料として優れているだけでなく、冒頭の歌に詠まれているように、独特の芳香があり、火相(ひあい・火の熾り具合)も美しく、一種の芸術品とされています。関西では大阪の池田炭、関東では千葉の佐倉炭が茶道炭として高く評価されてきましたが、現代では池田炭の職人は数名のみ、佐倉炭はすでに名前が残るのみとなっています。
奈良時代に中国から伝えられた白炭の技術は、元禄時代(1700年代)に現代でも有名な「備長炭」として大成します。備長炭の名前は、この炭の製法を完成した紀州の炭問屋、備中屋長左衛門によってつけられたもので、古くから紀州の熊野地方の村々で焼かれていた「熊野炭(ゆうやたん)」を改良して作られました。備長炭はウバメガシという木質の硬いカシの一種をの原料とし、窯入れから焼き上がりまで実に10日を要します。製炭士はその間匂いや煙の具合だけで作業を進めるそうですから、まさに職人技です。備長炭は着火がよく、すぐに全体が燃焼して大量の遠赤外線を発するという特性があります。上述のように遠赤外線は電磁波ですから、表面だけではなく短時間でものの中心までを温めることができます。このため、炭で食材を焼くと中はふっくら、外はこんがりとした焼き上がりになるのです。さらに長時間安定した火力を供給するため、料理に向いているというのはうなずけますね。
石油ストーブやエアコン、ガスコンロの普及で、家庭で炭を利用して暖を取ったり料理をしたりすることはほとんどなくなりましたが、火鉢や七輪で赤々と燃える炭の炎はそれだけで風情を感じさせるものです。単なる燃料を芸術の域まで高めてくれた先人の叡智を、この冬あなたの生活に採り入れてみませんか。
<参考文献> 1)木炭の歴史と文化について 2)Wikipedia,木炭 3)遠赤外線のお話 4)なら・観光ボランティアガイドの会,東大寺 大仏様の『お身拭い』 5)能勢さとやま創造館,能勢菊炭 6)紀州炭工房,紀州備長炭のおはなし ほか
※この記事は、2015年12月28日に配信された、NPO法人日本伝統文化振興機構メールマガジン『風物使』の一部を編集・転載したものです。
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