【生物】虫の言葉を聞いて:『秋虫』
「草深み こおろぎ多に(さわに) 鳴く屋前(やど)の 萩見に君は 何時か来まさむ」
(作者未詳 『万葉集』巻10-2271)
(訳:草深い我が家の庭に、たくさんのコオロギが鳴いています。ハギも見ごろになりました。あなたはいつ見に来てくださるのでしょうか。)
夏の暑さも峠を越し、夕風にカナカナと響くヒグラシの声も少し寂しげに聞こえる頃になりました。夜風に混じって秋虫の声が聞こえてくると、ああもう秋なのだなと感じます。
日本人は万葉の時代から、秋の情趣として虫の音に耳を傾けてきました。この頃は、スズムシもマツムシもクツワムシも、秋の虫はみな「蟋蟀(こおろぎ)」と呼んでいました。平安時代になると、それぞれの虫の声を聞き分けて、聞き分け遊びや競い合わせをするようになりました。源氏物語の38帖『鈴虫』には、野山で採ってきた虫たち(虫選び)を屋敷の庭に放ち(野放し)、虫の音を聞きながら管弦の宴を催す場面が描かれています。「秋の虫の声はいずれも素晴らしいが、マツムシがとりわけ優れている。庭ではあまり鳴いてくれないが」「コオロギはどこでも分け隔てなく鳴いてくれるのがかわいらしい」など、虫たちを批評したり、源氏が出家してしまった正妻の女三宮の声を「スズムシのように美しい」と歌に詠んでおり、虫の種類がはっきりと区別されている様子がわかります。
虫の音を楽しむ文化は次第に庶民の間にも広がっていき、江戸時代中期には市松模様の屋台に虫かごを並べて売る「虫売り」という商売が生まれました。飼育技術も高度になり、越冬中のスズムシの卵を温めて孵化させ、早期に高く出荷するようなことも行われていたそうです。当時の浮世絵には、夕涼みをしながら野の虫の声を親子で聞く様子や、虫かごを持った子どもが母親に連れられている様子が描かれており、虫の音を楽しむことが広く庶民の娯楽であったことが伺えます。
虫の音を聞き比べ楽しむ習慣は中国でも古くから伝えられていますが、このような感性は世界的に見ても非常に珍しいのだそうです。西洋人は虫の声が雑音としてしか聞こえなかったり、その声すら聞こえない人が大部分ですが、これは虫の声を左右どちらの脳で認識しているかの差によるものということです。日本語の環境で育った人は、人種や民族に関わらず川のせせらぎや虫の音などの自然界の音を言語と同じ左脳で処理するようになるが、そうでない人は言語以外の雑音と同じ右脳で処理するのだそうです。つまり、日本語環境で育った人は、文字通り「虫の音」を「虫の声」として認識しているのです。和歌のほとんどが自然の情景を叙述する内容である理由も、これでなんとなく納得がいきますね。
七現在の日本では昔に比べて小さなかごに入れられた虫たちが売られている光景を見ることは少なくなりましたが、住宅やビルの谷間の植栽にもたくさんの虫たちが生息しているようで、夜風が吹く時刻には自然と虫の声に耳を傾けるのが秋の夜の日課になっている方も多いのではないでしょうか。こんな「虫聞き」の情趣を、日本人としていつまでも大切にしていきたものです。
※この記事は、2011年8月31日に配信された、NPO法人日本伝統文化振興機構メールマガジン『風物使』の一部を編集・転載したものです。
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