【行事】 多様な背景:『たなばた(七夕)』
「棚機の今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年はながけむ」
大伴家持(万葉集 巻10-2080)
(七夕の今宵ふたりが逢うのは約束されているけれど、明日になればまた一年離れ離れの時間を過ごさなければならないのですね。)
今年も五節句のひとつ、七夕の時期が近づいてきました。本来の七夕は、梅雨が明けて天の川もきれいに見える旧暦の7月7日(2018年は8月17日)に行われる行事でした。このころには「上弦の月」といって、お月さまはちょうど半月になります。一年に一度、彦星が天の川を渡って織姫に会いに行くときには、この上弦の月に乗り込むと言われているので、必ずしも半月にならない今の暦では、彦星は別の船を手配しているのでしょうね。
七夕という行事は、日本古来の神事や祖霊を迎えるお盆の準備、大陸から伝わった織姫・彦星の伝説や古代中国の行事など、さまざまな要素が結びついて始まったものといわれています。
古代日本には、水辺に機小屋(棚機・たなばた)を建てて神の布を織る巫女「棚機女(たなばたつめ)」がいました。今でも神社の神事では、聖域を4本の笹竹で囲みますが、七夕に笹を立てるのも、かつて棚機が聖域であったことに由来しているのだそうです。旧暦の七夕はお盆(旧暦7月15日)の1週間前にあたり、七夕のあとの笹飾りを海や川に流す地方もあるとのことですから、先祖の霊を迎える前の禊(みそぎ)の意味が込められていたのでしょう。
平安時代には機織や裁縫、管絃や詩歌などの技芸の上達を願うための「乞巧奠(きこうでん)」という宮中行事が行われるようになりました。これはもともと中国で行われていた行事で、現在の湖北省・湖南省にあたる地域の年中行事記『荊楚歳時記』(宗懍著、6世紀)にも、日本の宮中同様、針に五色の糸を通し、酒肴や瓜を供えて針仕事の上達を女性たちが願ったことが記されているとのことです。織姫が機織に秀でていたことにちなんだ行事だったのでしょうね。
七夕の笹飾りが現在のような形になったのは江戸時代のことで、「五色の短冊〜」の歌にある五色は五行説にあてはめた緑・紅・黄・白・黒のことを指します。五色の糸がいつから短冊になったのかはわかりませんが、当時は和歌をしたためて笹に懸けたのだそうです。
男女の逢瀬、身の清め、技芸の上達など時代を超えてさまざまな意味が込められてきた七夕の夜。あなたは今年、星にどんな願いをかけますか。全国で行われる七夕祭りにもぜひ、足を運んでみてください。今回は、少しユニークな七夕祭りをご紹介します。
▼秋田県湯沢市
七夕絵どうろう祭り(8月5日〜8月7日)
秋田藩佐竹南家に京都からおこし入れされた姫君が京への郷愁を五色の短冊に
託し青竹に飾りつけたのが始まりとされた、約300年の歴史ある祭り。
▼石川県珠洲市
宝立七夕キリコ祭り(8月7日)
高さ数メートルの巨大な灯籠(キリコ)が町中をねり歩くお祭りです。お天気のよい年には、花火をバックにキリコの海中乱舞も見られます。
※この記事は、2010年7月5日に配信された、NPO法人日本伝統文化振興機構メールマガジン『風物使』の一部を編集・転載したものです。
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