【生活】 盛夏の必需品:『氷』
「八文で家内が祝ふ氷かな」
(小林一茶『七番日記』文化十二年(1815年)六月)
(解釈: たった八文(=96円)で、家中が大喜びする氷であるよ。)
6月下旬ともなると、梅雨の晴れ間が真夏日になることも多くなりました。そろそろ、素麺や氷菓子などの冷たい食べ物が欲しくなる季節ですね
旧暦の6月1日(新暦の7月上旬、2018年は7月13日)は、氷朔日(こおりのついたち)と呼ばれ、かつては冬に仕込んだ雪や氷を氷室から出して貴人に献上する日でした。
氷室の歴史は古く、紀元前1780頃の楔形文字の粘土板に、北メソポタミアの都市国家テルカで氷室が作られたという記録が残っています。ペルシアでは紀元前400年頃までには、今でも使われているヤフチャールと呼ばれるドーム型の氷室で、夏の砂漠でも氷を保管する技術が確立していました※1),2)。
日本では、『日本書紀』に初めて氷室の記録が見られます。仁徳天皇62年(西暦374年)、仁徳天皇の弟である額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)が闘鶏(つげ、現在の奈良県天理市福住町)に狩りに出られた際、山の頂上から野を見渡すと、盧(いわや)のようなものが目に入りました。そこで村長の闘鶏稲置大山主(つげのいなぎのおおやまぬし)に「あれは何か」と尋ねたところ、「氷室でございます。土を一丈(=約3m)ほど掘り、茅で覆って、さらにチガヤ・ススキを厚く敷き、氷をその上におくと夏でも解けません。暑 い時期に水や酒に浸して使います」と答えました。そこで皇子はその氷を持ち帰って天皇に献上したところ、天皇は喜ばれ、以来毎年師走には必ず氷を納め、春分の頃から氷を配るようになりました※3)。
昭和63年に、平城京の長屋王(ながやのおおきみ)邸跡から見つかった木簡には、この「都祁氷室」(つげのひむろ)の広さや、そこで保管された氷のサイズ、人足や運搬人の賃金などが記されていました。『日本書紀』の孝徳天皇の時代(7世紀半ば)の記述には、「氷連」という姓も登場し、「氷室」と並んで、代々氷室を管理する職を担っていた家系と考えられています。律令制(7-10c)の下で宮内省主水司(もひとりのつかさ=飲み水や氷の調達、粥の調理を担当する役人)が置かれて以来、明治時代に廃止されるまで、製氷を司る役職 がずっと続いたというから驚きです※1),3)。
今でも、各地に氷の神様を祀る氷室神社や氷室町、氷室村などという地名が残っていますが、これらは全て製氷室があった頃の名残です。氷は運搬が難しかったため、昔は貴重であったことは想像できますが、氷室は全国にあり、平城京では東西の市で氷が売られていました。そのため、貴人だけでなく庶民も氷を利用する習慣があったのではと考えられています※4)。
平安時代にはすでに、かき氷は夏の風物詩だったようで、枕草子の第42段「あてなるもの(=上品なもの)」には、「削り氷にあまづら入れて、新しき金鋺に入れたる(=新しい金属のお椀に、かき氷を入れてシロップをかけたもの)」とあります。現代では、かき氷は見た目を涼し気にするためにガラスの器に入れることが多いですが、確かに金属の器に入れたほうが、手に冷気は伝わりやすくなります。平安時代には食べるだけでなく、器を持つ手も冷やすことで、余すところなく氷の涼感を愉しんだ様子が伝わってきます。
江戸時代には、氷室は江戸市中にも作られるようになり、冒頭の句にもある通り、庶民でも気軽に氷を愉しんでいたようです。ですが、加賀藩から将軍家に遠路氷を献上したことを始めとして、藩主などへの氷朔日(こおりのついたち)の習慣は健在であったことから、こんな句も残っています。
「つつがなく氷納めてぐず寝かな」(小林一茶)
江戸時代、お百姓は氷だけでなく松茸などの貢物の献上のため、人足として徴用されることがあり、これがかなりの百姓泣かせだったようです※5)。この句には、無事氷の献上を終えてやれやれと朝寝坊しているお百姓さんの姿がよく表れていますね。
古代から涼をとるために欠かせなかった氷。自然の中でゆっくりと凍結する純度の高い氷は、家庭の冷凍庫で手軽に氷が作れる現代でもやはり価値の高いものです。秩父や日光、長野などの数少ない蔵元で作られる自然氷を利用したかき氷は、ふわふわでキメが細かく、食べ続けても頭がキーンとならないと評判です。まだ試したことのない方は、この夏ぜひ、甘味処で味わってみてくださ い。
【参考文献、参考サイト(2016年6月20日参照)】
1) Wikipedia, 「氷室」
2) Wikipedia, 「ヤフチャール」(英語)
3) 野村恵智雄, 「信州の氷室」
4) 奈良・平安時代の暑さ対策を支えた氷室
5) 篠田 鉱造(1996)『増補 幕末百話』岩波文庫.
※この記事は、2016年6月21日に配信された、NPO法人日本伝統文化振興機構メールマガジン『風物使』の一部を編集・転載したものです。
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