【生物】和合の象徴:『二枚貝』
「荒磯の波にたゆたふうつせ貝 ひもせそなふる時もありけり」
(中島広足『うつせ貝』)
(訳:荒波が打ち寄せる磯の波間に漂う貝殻のような私たちではあるが、荒波にも二枚の貝殻が離れ離れにならないことがあるように、こうしてふたりが一緒にいられるときもあるのだね。)
先週のひな祭りに、女の子のいるご家庭ではハマグリのお吸い物をいただいた方もいらっしゃるかと思います。地方によって、シジミなどをいただくところもあるようですが、なぜひな祭りに貝類をいただくのでしょうか。
ハマグリや寒シジミなどの貝類は、ちょうど今頃が身が引き締まっておいしい時期です。旧暦の3月2日は大潮にあたり、正午には潮が引いて海底が地上に出てきますので、このときに潮干狩りをして、翌日捕った貝をお供えしたようです。江戸では、東京湾で捕れたハマグリをお供えするのが慣わしでした。
古代には対になる貝殻以外とは決して合わない特性を利用して、「貝覆い」の遊びも生まれました。これは対になる貝殻の片方を探し当てる単純な遊びでした。これが次第に、持ち寄った貝殻の美しさを比べ合ったり、いろいろな貝に歌を添えて競い合う「貝合せ」や、貝殻の内側に華やかな絵や歌を描いて上の句と下の句を合わせる、「歌貝」に発展していきました。貝類にちなんだ秀歌選として、『三十六貝歌合』(1690年)、『繪本貝歌仙』(1748年)が残されており、古代以来、日本人が貝によせた思いをうかがい知ることができます。
江戸時代の武家社会では、夫婦和合と女性の貞潔を願って、金箔に蒔絵で風物や公家の男女をあしらった華やかな360個(=旧暦の1年の日数)の合せ蛤を納めた「貝桶」が、婚礼調度としてもっとも重要なものとされました(なお、この頃には、「貝覆い」の遊びは「貝合わせ」と呼ばれようになっていたようです)。一対の豪華な八角形の貝桶に納められた貝は、婚礼行列の先頭で運ばれ、婚家に到着するとまず、家老などの重臣が新婦側から婚家に貝桶を引き渡す「貝桶渡し」の儀式が真っ先に行われました。貝は女性の幸せにとってこれほどまでに重要な意味を持っていたのですね。
「わが恋は三島の浦のうつせ貝 むなしくなりて名をぞわづらふ」
(大祝 鶴(おおほうり・つる=鶴姫)時世の句)
(訳:戦で名を立てても、あなたを喪った今、私の心は三島の浦に打ち寄せられた貝殻のようにむなしいばかりです。)
これは、戦国時代の16世紀、大三島の神職・大祝氏の陣代として16歳で出陣した鶴姫が、先に討ち死にした恋人の越智(おち)安成を追って18歳で海に消える前に詠んだ歌です。彼女は敵軍の大内氏を撃破しますが、戦での手柄は身の片方を喪った彼女の心を埋めるものではありませんでした。彼女であれば家督を継ぐこともできたのでしょうが、恋人の眠る海に入ることを選んだのは、彼女が歳若かったからなのでしょうか、それとも女性だったからなのでしょうか。
家族や夫婦の関係が多様化したいま、男女ともに幸せの形は人それぞれです。ですが、二枚の貝のように唯一無二の相手と過ごしたいというのは今も昔も変わらない人の情なのではないでしょうか。旬のおいしい貝をいただきながら、昔の人が貝に託した願いに思いを馳せてみるのもよいのではないかと思います。
※この記事は、2012年3月8日に配信された、NPO法人日本伝統文化振興機構メールマガジン『風物使』の一部を編集・転載したものです。
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