2020年7月 日本文化コラム

【暮らし】魔除け・権威の象徴:『傘』

魔除け・権威の象徴:『傘』(傘を差した女の子の画像)

「上加茂の傘屋が紙屋に傘借りて 加茂の帰りに返す唐傘」
(早口言葉)

雨の日はもちろん、晴れの日にも日傘として欠かせないアイテム、傘。現代では用途に合わせ(もしくは急の雨で購入したものが知らずに増えて)、一人で何本も所有するのが普通になっていますが、かつてはそうではなかったようです。

東洋の傘の起源は、古代中国で魔除けの目的で従者が貴人に差し掛ける「天蓋」で、開閉はできないものでした。日本には、古墳時代の6世紀に百済王より仏具として伝えられ、「きぬがさ(絹笠、衣笠)」と呼ばれました。仏具としての天蓋は、古代インドの王侯貴族や高僧の間で日傘として使われていたものが権威の象徴となり、仏教に導入されたという経緯があります。古代ギリシャやヨーロッパでも天蓋や傘は同様の使われ方をしたそうですから、洋の東西を問わず人間というのは同じようなことに価値を見出すものなのですね。

さて、傘は日本に入ってしばらくは日傘として使われていましたが、平安時代以降、日本独自に竹や紙を使用して開閉できるものに改良され、室町時代に油を引いて防水加工をした和紙が傘布に利用されるようになると、次第に雨傘としての用途も広がって行きました。

団扇(うちわ)を扇子にしてしまうように、何でも小さくコンパクトにしてしまうあたりは、まさに日本のお家芸と言えましょう。このように開閉ができるようになった傘は、「唐繰(からくり=絡繰と同義)傘」と呼ばれ、略して「唐傘(からかさ)」と呼ばれるようになりました。

室町時代の1500年頃に成立した『七十一番職人歌合』には、すでに傘張り職人が専門の職人として登場しており、傘作りが職業として成立していました。

「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞあやしき」
(兼明親王『後拾遺集』1154)

(訳:花は咲き誇るが実を結ばない山吹のように、お貸しする蓑さえないのを心苦しく思います。)

それでも傘は高価なものであり、一般庶民はもっぱら合羽や蓑笠を使っていました。江戸近郊で狩の最中に雨に降られた太田道灌が、農家で蓑笠を借りようとしたところ、娘に山吹の花を差し出され、意味がわからず訝ったが、後でこの歌を踏まえたものだったと家臣に知らされ、自身の教養のなさを恥じたという逸話が残っています。

江戸中期を待って傘は一般に普及するようになり、商店の屋号を傘にあしらって客に貸し、店の宣伝に使われることもありました。「番傘」とは、店で貸す傘を管理するために、番号が振られていたことに由来します。

井原西鶴の『西鶴諸国ばなし』には、紀州の掛作の観音様に寄進された20本の唐傘が毎年張り替えられ、風雪の際には皆が持っていくが、晴れの日には律儀に返しにくるので1本も欠けたことがない、という話が見られます。この時代の人々が傘を大切に扱い、貸し傘のシステムを支えていたことがわかりますね。

近年、商店街でも貸し傘を復活させたが、江戸時代のようにきちんと返しにくる人が少ないため、運営が難しいという話を聞いたことがあります。傘が消耗品であるという意識をそろそろやめて、昔のように傘直しや張替えを活用して、1本の傘も大切に使って行きたいものです。


※この記事は、2013年7月23日に配信された、NPO法人日本伝統文化振興機構メールマガジン『風物使』の一部を編集・転載したものです。

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