2019年2月 日本文化コラム

【気象】天から舞い降りる白い華:『雪』

【気象】天から舞い降りる白い華:『雪』(雪の画像)

今年は全国的に例年より気温の高い日が多く、梅の花も早々にほころび始めたようですが、これから春に向けてはほぼ平年並み。満開の花を楽しむには、今しばらく心待ちに日を過ごすことになるでしょう。 かつての日本は今よりも寒く、雪も多かったと言われています。人々はどのように雪を見、冬を過ごしていたのでしょうか。

「沫雪は千重に降りしけ恋ひしくの 日長き我れは見つつ偲はむ」(柿本人麻呂『万葉集』2334)

(訳:淡雪よ、千重にも降り積もれ。あなたへの思いを、降り積もる雪のように日々重ねる私は、雪にあなたを想っています。)

『万葉集』には、150首を超える雪の歌が、淡雪(沫雪)、白雪、大雪、初雪などさまざまな表現で収められています。それらの多くは寒さや悲壮感を感じさせるものではなく、雪のはかなさを切ない恋にたとえたり、初雪にその年の豊穣を願ったり、梅とともに春の訪れを予感させたりと、美しく心や身の回りの情景を表すものになっています。

平安文学にも、多くの雪の情景が登場します。その頃の貴族の屋敷は壁もない板張りの寝殿造りで、暖房器具といえば火桶(ひおけ)や炭櫃(すびつ)と呼ばれる火鉢のようなものしかなかったので、相当寒かったはずなのですが、文学作品には寒さに対するネガティブな表現はあまり出てこないようです。『源氏物語』の『朝顔』の段には、童女を雪の積もった庭に下ろして「雪丸げ(ゆきまろげ=雪転がし)」をさせたとありますし、『枕草子』では雪をむしろ歓迎するくだりが多く、有名な「香炉峰の雪」の場面では格子と御簾を高く上げて雪見をしたり、五節や御仏名(宮中で行う懺悔の儀式)などの行事に雪が降らず雨になってしまうのは、残念だと書かれています。屋敷の奥に閉じこもって火に当たるよりもむしろ、積極的に雪を楽しんでいたことがうかがえますね。

雪が生んだ民間伝承としてよく知られるものに「雪女」の物語がありますね。これは雪深い北日本のお話のようなイメージがありますが、愛媛県、鳥取県などの雪の降る西日本にも同じようなものが伝えられているのだそうです。雪女の物語は、吹雪が戸に吹きつける音が訪ねてきた誰かが戸を叩く音に似ているため、子のいない老夫婦や妻のいない男が、待ち侘びたその人と一緒に暮らすという、雪のように儚い幻想から生まれたとも言われています。貴族階級が屋敷で雪を愛でていたころ、山野に住む民衆は家の中で誰かと肩を寄せ合って春を待っていたのでしょう。

上品な冬のモチーフとして、雪柄は今でも人気があります。雪の結晶を初めて観察したのは紀元前の中国人で、それが平安時代の日本に伝わり、「六出(りくしゅつ)」、室町時代には「六花(りっか)」と呼ばれました。家紋や着物に雪の結晶が描かれるようになったのは江戸時代以降で、雪を顕微鏡で観察して結晶図を描いた『雪華図説』(土井利位・どいつとしつら、1832年)が発表され、広く図柄として広まりました。雪粒の一つ一つがあのような均整の取れた形であるということに、当時の人々も自然の造形の神秘を感じたことでしょう。1936年、世界で始めて雪の結晶を人工的に生成したは中谷宇吉郎という日本の物理学者でした。菱形12面体の氷の結晶に重力がかかるとあのような美しい六角形になるのだそうです。

「冬ながら空より花のちりくるは 雲のあなたは春にやあるらむ」
(清原深養父(きよはらのふかやぶ・清少納言の曽祖父)『古今集』)

(訳:冬だというのに、空から花が舞い散ってきた。雲の向こうは、もう春なのではないだろうか。)

雪の向こうには、花咲く春が近づいてきています。野山の花が咲くまでは、空から舞い降りる雪の華と、白く輝く風景を心に留めたいものです。


※この記事は、2012年2月15日に配信された、NPO法人日本伝統文化振興機構メールマガジン『風物使』の一部を編集・転載したものです。

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