2018年11月 日本文化コラム

【行事】子の成長を皆で祝う:『七五三』

【行事】子の成長を皆で祝う:『七五三』(千歳飴の画像)

「袴着や子の草履とる親ごゝろ」(小西 来山)

(訳:袴着で子供の草履をとって渡す。我が子の成長をお祝いできる事が本当に幸せだ。)


七五三は、子供が三歳、五歳、七歳になった年に子供と親が揃って神社にお参りし、子供が健やかに成長した事を感謝し、将来の幸せを願う行事です。人生の通過儀礼の一つでもあり、「七五三の祝い」や「子供の歳祝い」などとも呼ばれています。一般的には、男の子は三歳と五歳、女の子は三歳と七歳の時にお祝いします。(*1)

七五三の行事の原形は、平安時代に遡ります。宮中や公家社会において、縁起の良い奇数の三歳、五歳、七歳の年に子供の成長を祝う儀式が行われるようになりました。室町時代になると、男女三歳の「髪置き(かみおき)の儀」、男子五歳の「袴着(はかまぎ)の儀」、女子七歳の「帯解き(おびとき)の儀」というようにそれぞれの儀式としてお祝いされるようになりました。

「髪置きの儀」とは、生後剃っていた髪を三歳の11月吉日から伸ばす、赤子から幼児へと成長した事を祝う御祝いです。「袴着の儀」とは、親以外の袴親が子供を恵方にむかって立たせ袴を初めて履かせる男の子のお祝いです。「帯解きの儀」とは、幼児用の付け紐の着物から、大人と同じ帯をしめた着物の着付けに変える儀式で、女児から子供への成長のお祝いです。(*1)(*2)

これらの儀式は、11月中の吉日中にそれぞれ別々に取り仕切られるのが一般的でした。後に、江戸時代に3代将軍徳川家光が虚弱な体質であった徳川綱吉(幼名:徳松)への無事の成長を願い、袴着の儀を11月15日行った事から、一般的にこの日に定着したと言われています。また、七五三とよばれるようになったのは江戸時代中期以降であり、儀式も一体化され、同じ日に取り仕切られるようになったとのことです。現在では、15日に限らず、10月〜11月中の吉日に行う家庭が多いとのことです。

このように昔から七、五、三という区切りで子供の成長をお祝いしていたのは、子供が成長するまでの死亡率が高かった事が背景とされています。特に、七歳が大きな節目とされており、七歳のお祝いは「氏子入り」といって氏神様から氏子として認めてもらう大切な意味を持っていました。

子供の成長に関する人生儀礼は、誕生から3日目のミツメ、7日目のお七夜、それから七五三へと続きます。これらの儀式に共通している事は、子供のいのちを尊く思い、成長に喜び、感謝してきた歴史です。特に、これらの儀式は親だけではなく、祖父祖母、親戚、近所の人々などをお招きし、共にお祝いをしてきたと言われています。

幼子が成長出来るのが希少だった時代だからこそ、お祝いは家族やその周りの社会をも巻き込む一大行事でもあり、喜びも一塩だったのではないでしょうか。私たちも、誰もが多くの人々によっていのちの成長を見守って頂き、大切にされてきた事でしょう。神社では今まさに七五三のお祝いが至る所で行われています。今度は私たちが小さないのちの成長を見守っていきたいですね。

<参考文献>
*1 竹中敬明. 四季の年中行事と習わし.近代消防社,2010.
*2 暮らし歳時記, 七五三,



※この記事は、2014年11月20日に配信された、NPO法人日本伝統文化振興機構メールマガジン『風物使』の一部を編集・転載したものです。

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