2018年4月 日本文化コラム

【気象】風景を和ませる:『春霞』

風景を和ませる:『春霞』(霞の画像)

「かへる山 ありとは聞けど 春霞 立ち別れなば 恋しかるべし」
(紀利貞 『古今和歌集』巻8-370)

(訳:「帰る」という名のついている山が行く先にあると言っても、春霞の中に消えていくあなたを見送れば、きっと恋しくなってしまうでしょう。)


まだ朝晩肌寒い日はあるものの、ツツジも咲き始める陽気に、つい春眠を貪りたくなる日も多い時期になりました。青空や青葉が鮮やかに風景を彩る初夏の訪れまで、何となくふんわり、ぼんやりとした気分なのは、春霞を通る柔らかな陽ざしと、その向こうに煙る風景のせいなのかもしれません。

日本では、上古から秋の霧との対比で春の霞が多くの歌に詠われて来ました。植物などから大気中に放出された水分が、気温の変動で朝夕に目に見える水の粒になって漂うという現象自体は、霧も霞も靄(もや)も全て同じなのだそうです。ですが、それらが異なる季節、異なる風景の中で心に映るならば別のものとして表現されるのは、やはり昔の人の繊細な感性のなせるわざと言えましょう。

秋の霧が、歌の中で物悲しい雁の鳴き声などともに寂寥感を掻き立てるのに比べ、春の霞はどことなくのどかで、情景を穏やかに見せる効果があるように思います。

能の演目「羽衣」では、雨上がりの春の朝、朝霞の三保の松原を歩く三人の漁師が、えも言われぬ美しい音楽と香りにあたりを見回すと、松の枝にかかる美しい衣を見つけます。そこに天女が現れ、天に帰るために衣を返してほしいと懇願します。主役の白龍という漁師は、衣を返す代わりに天の舞を舞うよう天女にねだります。この後、唄に合わせた舞が始まりますが、その歌詞の中にも、「春霞 たなびきにけりひさかたの」、「春立つ霞の衣」などの表現が見られます。そして天女は、天の羽衣を海風にたなびかせ、天高く次第に微かになり、霞の中に消えていくのです。俗世を体現する無骨な漁師の男と、神秘的な天女との対比が、春霞を介して描かれているとも言えます。

「三本の矢」で有名な戦国大名の毛利元就は、実は和歌をよくする武人で、いくつかの詠草(和歌を書きつけたもの)を残しており、その中の一つが『春霞集』と呼ばれています。

「いつはあれと 風静なる春の夜の 霞たな引 有明の空」

(訳:出てきてくれと願っていると、春の夜に静かな風が吹いてきた。有明の空に、霞がたなびいているよ。)

この歌集には、室町後期の公卿・歌人である三条西実澄(さんじょうにし さねき)が批評文をつけているのですが、この歌は「静中に動あり(静けさのなかに動きのある歌です)」と評しています。親子や兄弟が明日の敵になりうる乱世を生き抜いた元就が、春の夜の一時の静けさにも、また迎える明日の激しさを見ていたのかもしれません。

春の早朝や夕暮れ時、ビルの谷間に、水辺に、山野にあなたが見る春霞には、何が映るのでしょうか。春の一時、霞に煙る風景に、しばし心を和ませてみませんか。


【参考サイト】
古今和歌集の部屋 巻四
Wikipedia 春霞
引地博信 日本語と日本文化 能楽の世界 羽衣:天女伝説(能、謡曲鑑賞)
安芸の夜長の暇語り

※この記事は、2016年4月18日に配信された、NPO法人日本伝統文化振興機構メールマガジン『風物使』の一部を編集・転載したものです。

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